戦国時代、上野国(こうづけのくに)に箕輪城城主の長野業政という男がいた。箕輪衆と呼ばれる
在郷の武士たちをまとめて、武田信玄のたびたびの侵略を防いだ名君でありました。
上野国(こうづけのくに)と言うのは群馬県高崎市の辺りで、箕輪城城跡は現在、国の史跡に指定されているよ。
弘治二年(1556年)から、下野国(こうづけのくに)に、侵攻を開始した武田信玄。
武田信玄の度々の侵攻に対処するために、越後の長尾景虎(上杉謙信)を訪ねて会見して、景虎が信ずるに
値する人物と認め、その人柄にほれ込み、援軍を要請した業政。
これまで、数回の信玄の侵略を智謀、知略で切り向けてきたが、
永禄四年、年明けに武田信玄が、一万二千の大軍で碓氷峠を超えて上州に入ってきた。
この度は、数の上では、とうていかなわないので、越後の上杉謙信が援軍に来ると信じて、籠城の策をとった業政。
だが、籠城して五か月以上過ぎて、食料も底をついてきた。援軍を待つ日々だが、まだ、上杉謙信は越後から
動かない。家臣は疑念を抱くが、それでも、業政は信じて疑わなかった。「上杉殿は必ず来る」と…。
そして、八月二十九日、ついに、上杉謙信が一万五千の軍勢とともに春日山城を発したとの知らせが入った。
永禄四年と言ったらあの有名な、上杉謙信と武田信玄の川中島の四回目の激戦の年なんだね。
作者のあとがきのとおりの痛快な、小説です。あまり知られていない下野国(こうづけのくに)の
戦国武将、長野業政の生きざまをぜひ読んでください。
あとがきの一部から
戦国一の騎馬軍団軍団をひきいる武田信玄の侵攻を受け、滅亡の危機に瀕(ひん)しながらも、業政は
幾度となく武田軍を撃退した。胸のすくような、爽快(そうかい)な話ではないか。
いつか必ずこの男を書きたいと思っていた。長野業政が武田軍と戦ったのは彼の晩年であり
年もすでに六十前後になっていた。老いた身には、過酷な戦いで会ったろう。
たとえ弱小勢力といえども、おおきな相手の理不尽には誇りをもって戦いを挑んでゆく。
そんな業政の姿が、いささかでも読者の方々の励みになったならば、筆者としてこれほどの幸せはない。
作者 火坂雅志 新潟県出身
平成24年のNHK大河ドラマ、主人公は上杉景勝に仕えた上杉家の家老・直江兼続が主人公の「天地人」の作者。
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